昭和42年2月19日    特別奉修委員 


 
 三代金光様が様々なお祭り、大祭のお祭りをお仕えになります時には、一カ月前からお祝詞の稽古が毎日あるそうですね。私それを聞いてから驚きました。しかも宅の御神前でですね、丁度、御神前で声をたててお祝詞をお読みになるですね。あんなように声を出してから、毎日練習なさいますそうです。
 もう本当に、私共も本当に頭が下がりますですね。頭が下がるというよりも本当に、それが本当だと思うんですね。ところが、私共の場合なんかは、もう祝詞でも何でも、ほんなその前の日に例えば作って、そのひっかかり、ひっかかり読む様なことであり、やっぱりちっと、勿論、お祝詞の作成する委員がでけましてね、それでその、それで金光様にそれをお目にかけて、そして金光様ここはこうなおして下さい、あー直して下さいとやっぱおっしゃるそうです。
 そして直されて一と月前位からずーと、毎日毎日繰り返し、しかも声を出してお読みになるということですね。どうも、椛目の信心の生き方の中に、いわゆる神ながら主義といいますか、そん時はそん時でできるがといった様な、その、ものがあるんですが、今度、私検定試験の勉強に取りかからして頂いて、それを本当に思いますですね。
 ハアー勉強さして頂きゃやっぱ今迄知っておることであってもですね。その、知り方が分かり方が違うんですね。そういうその信心をですねさせて頂きよらんとですね、本当の信心、例えば素直心一つでも本当の素直になれないと思うですね。

 これは人間て妙なもんですよ、やろうといや、いらんという、やるまいといや下さいといった様な心があるんですよね、人間の心の中に、今も野口さんが夕べのお月次祭の中に、私が、お話をしましたのは、皆さん想像されたと思うんですけども、野口さんのことだったんですよ。
 それに、その自分の方は御造営でも済んでから、そしてその娘をやりたいというておられた、ところが、向こうの方では、何か、お父さんが急に弱られて、もうとにかく早くがいいと、もうできるなら今月中にでもというて、それで、わざわざ向こうからお願いに見えた様なことだったんですね。もらい受けさして頂いたからという、椛目へお礼と同時にそのことのお願いのために、昨日参って見えたんです。
 ところがですね、もうその話がいよいよ決まってから、腹ば、その娘さんがやす子さんといいますが、やす子さん、もあんた腹ひとつばいて、あんたが決まればお父さんでも、お母さんでも返事するということになったら、その、シクシク泣いてからその、まあしぶんなごたるそうですもん。
 あんたが、そげん泣くごつ行くごつなからなば、又、向こうにもいい様があるからというて、もう、さあそのためには姉さん達が来てからですね。小倉の姉さん達が来てから、もう、とにかくどんなに見ても、又実際聞いても、ま、一番良い今迄のあれからいうて、その良い。
 あんたが幸せするごたる、姉妹のうちではというて、その進められてようやく返事をして、そして二人がお付き合いをするごとなったら、その二、三日前だそうですもん。何遍目からそのデートでございましたそうですが、向こうから早いがええちいよんなさるけん、早う行ったっちゃよかち思うていいなさるそうですもん、やす子さんが、したら、その野口さんが言うとることが、お母さんがこげん思いよるとに行くなら行ったっちゃよかたい ち 
 先日、ほんなこのつい何日か前かわですね、とにかく、一生懸命進めてからやうやうていよるとにですね。今度本人から行く気になって、こんだその行く気だけじゃなくて、その向こうが、そげん大祭が済んでからていわんな、その向こうもとにかく、お父さんがそげんいよんなはるげなけんで式を早目にという話が、本人達にあったんでしょう。
 あげんいよんなさるけん、早ういったっちゃよかち。あんた、行くなら行ったっちゃよかたいちいうてから、もうかもちゃやらんばの ちいうごたる風にいうたという訳ですよね。けども、確かに人間の心の中にそう言うものがあるということ、けどもこれでは、しかし、おかげは受けられないということですよね。押されれば押され、引かれれば引かれ、これが素直なんです。そして、その昨日も仲人さんが、こんな風なわけだから、今その、そのことで一件電話がかかってきたそうですもん。
 それから、もやもやしとるですけんで、今日は、椛目の月次祭だけんでけんばのちいうてから電話切ったち、いう風な、その夫婦で話ですたいね。 それで、親先生にお伺いをしてからでないと返事しちゃでけんと、今日、来てもらうちゃ困るからちいうてから、勿論、その仲人さんが親戚なもんですから、そういう、その言い方をしてから出てきたら、夕べの御理解だったということなんですね。
 いわゆる、ここんところを見つめとらなければですね、やはり竿をたれておるその魚が、例えば食いついてきてもですたいね、浮きが動いてもです横向いとったんでは、何時餌が無くなったのやら、何時魚が食いつきよるかそれは分からない。本当にそこんところを見つめておかなければですね。
 焦点を何時も、焦点をその見極めていかないと、おかげを、おかげとして受けきらんし、又、その本当に、神様はあれやらこれやらを、それこそ思いに思い、計りに計ってからのことでございますからね。それで、わざわざ神様が向こうのお父さんを、本当にやっぱりお悪いんだそうです。病院に入院されてここが悪かった。
 退院されたところが、又、悪かけん、又、お医者さんにかかんなさらんという風に悪いんです。そのお父さんとしても、その自分の体が弱っていかれることを感じられて、そして、その淋しいかなんかでですね。もう、やーやいうて急がれるて、だからちがわんごとやす子さんが嫁ぎんなさると向こうお父さんも強なんなさるとですよと、神様のご都合じゃあるというて、今も申しましたことでございますけれども、そういう様な、神様の特別な働きがあってですね。
 いうなら野口さんあたり現在おかげ受け取られるけれども、相手とはとてもいうなら財産の点でいうたら、もう提灯に釣鐘です。それは、だから本当の徳分というのは、同じでありましてもです形の物は釣り合わないのですから、だからというて、こちらも日にちを充分とれば、向こうに対するところのあれもこれもしてやらなきやならん。 そすと、どうしても無理がいく、それを無理してからでもしてやりたいのが親心ではあろうけれども、そういういわば意地を出さなくてもそこでいい済むことなんです。
 昨日の御理解の中にもあった様に、持参金を持って頂くなら、持参金のあるならもらわんてんなんてん言わずにですたい、ありがーともろうたってよかつじゃん、そりけんちいうてから、又、持参金だけもろうちいうごたるわけにはいかんもん。ですけどもね、やっぱもらうなら持参金も嫁さんももらわにゃならんのですけども、そういう風で、私共の心の中にその意地がでるとか。
 又は、人間誰しも同じことで、そのサアー娘をやれやれと進めておりながら、娘はその気になってサアーもう早うでんよかちいうごとなってくると、今度は又、あんたそげなこというならかまわんばのちいうごたる心がですね、あるとそれでは確かにおかげ頂き損なうですね。
 ですから、そういう時にこれもご都合ばいて、とにかく親先生にお伺いしてみてから、私は大祭が過ぎてから、御造営が済んでからとこういう思いであるけれども、神様のこげんしてからせきたててござると、何か神様のご都合だけんでという様な頂き方の中にしか、本当のおかげ頂かれないと思うですね。
 だからそういう様に頂かして頂くために、金光様の御信心じゃないですけども分かってるんです。もう分かってるこんくらいなこつは、分かってるけれどもやはり一月前からお祝詞を毎日毎日しかも声を出して、その本当にいわゆるぶっつけ本番ということではなくてです。本番前にちゃーんとそれだけの御練習があるということを聞かして頂いて、なるほど、なるほどと感じることがございますです。
 私共信心も分かり切ってることなんです、けれども、やはりそのことを生まずたゆまず繰り返し繰り返し、私は、おかげを頂いていかねばならんと思うですね。

 昨夜も、皆さん帰ってからすぐ私と、愛子と二人で御初穂の整理をさせて頂きましたのがもう二時でした。それからですか愛子と二人で何時も整理させて頂きますもん、月例祭の後ですから二人で話したことでしたけれども、本当に神様ちゃ、愛子ちゃん間違いなかろうがね て いうて話すことなんですね。
 昨日、お供えが少なかったんですね。何となく淋しかったです昨日は、それから楽人も二人、昨日は上野さんも初美さんも出て来てなかった。ところが、そのお届け帳を見ると参拝者は何時もより多いです。そして、そのお初穂をあけて見てから思うことなんですよね。ほうら見てごらんお供えが少ない時にはお初穂が多いです。ハアーそうにお供えが多い時にはお初穂がいくらか少ない。
 何か、実に不思議なこつじゃあるね、お供えしとらんけんお金でお供えしょうといった様な人はまあないです。それでもそこんにき何ともかんともいえん不思議さが一つあるですね。
 この前、この前の月次祭の翌日か、大川に行った日でした。丁度、そん時に秋永先生がお金をこのくらいばっかり用意しといて下さい、さあ、ところがお休みなんです銀行が、サアーどうにもできん困ったなあといいながら、私、その月次祭の晩の御初穂整理させて頂きました。丁度秋永先生がいよるだけが余分にありました。
 ホラ、ほんに神様ちゃ間違いなかねていうて、そん時も申しましたことですけれども、昨日も、調度品の客殿関係のものが足らないんです。それで、ここ二、三日前から昨日にかけてから、色々持って来て頂いた。今日、皆さんにも見て頂きたい。佐田さん方にも見て頂きたいと思うんですが。
 夕べ残っておる方達に色々検討してもらったんですよね、それで、それを買おうということになれば、それだけはやっぱり金がどうしても、昨日の七、八万円はなからなければでけんのです。ところがですね、いわゆるお供えは少なかった、例えば、楽人は二人少なかった。何とはなしにチット淋しさを感じたけれども、お供えの方がそれだけ余分にあるんです。
 愛子ちゃん、間違いなかねちいうて、夕べも話したことでございますけどもね。そういう神様の間違いのないおかげというか、働きというものをですね頂かして頂くためににも私はそれを感じるです。
 今も、私申しました様に、人間の心の中にはです何か知らんけれども、意地とまではいかんでも、こう引かれれば向こうさん行き、押されればこっつあんやって来るといった様なですね、そのひとつの、これは道理ではございましょうけれども、そこんところをですね、やはり、神様任せというかね、柳が風に逆らわない様にですね。
 まいっ時待ってくれといやハイといい、早よちいやハイという、この頃あげんいうとってからこうといった様な、野口さんのそれではないですけれども、そういうところは、野口さんあたりなんかはそういうてから、腹かきもってから夜のお月次祭にお参りさして頂いてから、あの御理解だった。
 ハアーほんにそうだった、お父さんが東京へ出張で昨日帰ってきとられます。お父さんとも、そのこと話させて頂いたらそりゃそうたい、そうどころじゃないたいと二人であーして参って見えとられるんですけども、もう、本当におかげというものはですね無理するこたいらんとですよね。
 もう、自然ーの中に必要なものは必要に応じて、例えば、物だけじゃありません、金だけじゃありません。けれども、それにはですね無理することのない自然な心の状態というものが使える様にならなければならないということ、右ちゃ右、左ちゃ左というごたる心が人間の心の中にあるから、そこんところを信心でおぎのうて改めていかなければならん。
 そこんところが、皆さんも分かっとる、分かっとるけれどもいよいよの時になると、あれが自分達の性格の上に出てくるんです。ですから、分かっとることだけれども、そこを金光様じゃないけれども繰返し繰返し、やはり稽古させて頂いとかんとでけないということを感じますですね。                         どうぞ